2005/02/27

立会い出産のための両親学級

3月に2人目の子供が生まれる予定である。今回は、私も立会いたいと思っている。昨日、そのための両親学級に参加した。

講師は病院の助産師である。両親学級の内容は、陣痛室や分娩室での注意事項、出産時の母体と胎児に動きの説明、出産のビデオ上映、参加者(昨日は6組だった)の自己紹介、陣痛室での妊婦へのマッサージ方法実習(夫婦でやる)、呼吸法実習、施設見学である。通しで2時間ほどのメニューだったが、この時間中、夫が妊婦体験をするためのベスト(胎児の重さ分のお湯を仕込んである)を交代で着用し、私も40分くらい着用していた。

妊婦体験用のベストを着てみて、このベストは実際よりも2kgほど軽めに作ってあるということなのだが、それでも十分仰向けに寝ると息苦しいこと、寝返りが打てないこと、靴下が履けなかったり足のつめが切れなかったりしそうであることを体感した。立って歩くと前がよく見えないこととバランスをとるのが難しいこととで、雪が降ったりしたら危ないことも想像した。

施設見学で分娩台に乗った。出産時と同じ体勢になるのだが、脚の付け根(骨盤と大腿骨の間接)がねじられるようで痛くて非常にキツイ。助産師さんの説明によると、だいたい男性はこの関節が硬いのでつらいらしい。参加者の夫陣はみな大股開きがきつそうであった。

出産時のビデオを見ていて、涙ぐんでしまった。出産時の映像は何度か見たことがあるが、いつも涙ぐんでしまう。本番では泣くだろう。そんなことを自己紹介の時に話したら、助産師さんも「お父さんはだいたい泣きます。」とのことである。立会い出産が父親に与える感動は大きそうである。

各人の自己紹介の中で、分娩室まで立会いをしても何もできないから陣痛室までしか行かないと言う人(夫)がいた。この人は2度目の立会い出産になるのだそうだが、前回も陣痛室までしか行かなかったそうである。他にも、分娩室まで行くことを少し躊躇している風な人もいた。助産師さんの話では、はじめそういっている人でも陣痛室で妻をケアしている流れでそのまま分娩室まで行くことが多いそうである。また、何もできなくても、そばにいるということが大仕事中の妻に対する励ましになるのだという説明もあった。その一方で、夫の方から是非立会いたいと言い出したという人もいた。

出産当日だけみれば、確かにそのとおりだろう。分娩室に行っても役立たずである。血を見てぶっ倒れても父親は放って置かれるという話も聞いたことがある(が、その件を質問した人がいて、それに対する助産師の回答は、放って置かれることはないそうである)。陣痛室でも、夫よりプロの方が的確なマッサージをしてくれると言う妻もいた。しかし、重要な点は、夫が立ち会うことで、その後10年20年と続く子育てや妻との関係における夫の行動に影響を与えるということだと思う。私が今回の立会い出産の申込書の動機欄に書いたことは以下である。

  • 子と妻に対する責任感をより強固なものにするため。
  • 人間として知っておくべき事だと考えるため。

2005/02/22

新しいカメラがほすぃ?

少し前に、定年退職パーティに出席したことを書いたが、そのときに写真係を頼まれた。デジカメなら参加者が閲覧するページがすぐ作れるしプリントもできるので便利であると思うが、私は現在のカメラ情勢(時流)に沿ったカメラを持っていないので、つまりプリントに耐えうるレベルかつデータの出力が簡単にできるデジカメを持っていないので、フィルムのカメラ Canon EOS 7 で撮った。ちなみにデジカメは最初期のサイバーショット(35万画素)を持っているが、今はまったく使っていない。

同じそのパーティに出席した同僚も、同じように写真係を頼まれていたが、彼はデジカメ Nikon D70 である。デジカメの機動力というか、機動性を引き出すポテンシャルというか、そういったものを感じた。彼はがんがん撮って合間にプレビューして質の悪いものは落としている。また、ファインダーがのぞけないようなポジションで(報道カメラマンが人の群れの上から被写体を狙うように両手でカメラを上げて)撮っている。ちゃんと写っていなかったら捨ててやり直せばいいのである。

そろそろデジカメ(私の場合は一眼レフしか視野にないが)を買いたいなとは思っているが、どうもこれだと思えるものがなかった。20Dは内容的にはいいのだが高すぎる、強く Canon にこだわっているわけではないが他のメーカーのものもいまいちピンと来ない、というような気持ちでいた。しかし、彼のアクティブなカメラワーク(というほどかっこいいものではないが)を見ていて、やっぱり欲しくなってきた。そこでいろいろ調べてみていたのだが、やっぱり決定打に欠ける。そして、不思議なことに、デジカメのことを考えれば考えるほど、フルマニュアルカメラ(当然フィルム)がより欲しくなってきた。へそ曲がりである。そこから、中古カメラのサイトを毎晩チェックするようになった。

以前から欲しかったカメラがある。Nikon FM3A。そしてもっと欲しかったカメラが NewFM2 である。NewFM2は私が高校時代に欲しかったカメラで数年前まで生産されていたモデルである。FM3Aはその後継機である。どちらもカタログをもらってあるくらい買うことを考えたカメラである。NewFM2の方は実家に当時(1985,6年)のカタログがあるし、今手元に1999年のカタログもある。FM3Aも発売当初入手したカタログが手元にある。とにかく思い入れがあるのである。

FM3Aは現行機なので当然新品で買えるが少し高い。発売から数年(3年くらい)経っているので、中古もぼちぼちでてきているようである。NewFM2は結構中古市場に流れているようである。1週間ほど調べていたら、NewFM2/T (Tはチタン外装)が元箱&取説付ででているものがあった。この1週間で箱と取説がついているというものははじめて見た。それも T である。一晩ほど置いたが、やっぱり気になる。ので、ぷちっと押した(←ネットショッピングで購買行動を発動したことを、われわれは「ぷちっと押す」と言っている。用例:アマゾンでぷちっと押せばいいじゃん)。そして、そのカメラが今宵やってくる。

ぷちっと押した数時間後、カメラケースなどアクセサリー類を調べようと、yodobashi.com を見に行ったら、EOS Kiss Digital の新機種が発表されていることに気づいた。私がぷちっと押したその日にプレスリリースされていたのである。内容はけっこうよさそう。先にこっちを知っていたら、ぷちっと押さなかったかも・・・・。

2005/02/13

国家企画大学構想 周辺動向

とりあえず、Google で「国 企画 大学」で検索しても、今は何も出ない。
# 自分のブログも含めて・・・

企画を政策に変えてみるとちょっとある。
「政策」が名前にはいる国(あるいはそれに準ずる)研究所は、国立教育政策研究所、国交省国土技術政策総合研究所、労働政策研究・研修機構、が見つかる。
検索している途中、経綸会という組織が見つかった。有志の会、ということらしい。

で、政策研究大学院大学というのがあった。私の構想内容とはちょっと違う目的・目標を掲げているが、これがいちばん近いかも。

『虜人日記』を読み終えた

昨夜、小松真一氏の『虜人日記』を読み終えた。山本七平氏の『なぜ日本は敗れるのか』のベースとなっている本である。
戦中、一般企業に勤める氏がその技術を買われて軍に徴用されフィリピンに赴任、ブタノール製造のための技術指導や工場立ち上げ、戦況の悪化でジャングル内へ逃避し自活生活、終戦後の収容所生活から帰国までを、ほぼリアルタイムで記録したものである。日本の組織や日本人について考えさせられる内容である。戦後数十年たって問題として騒がれるようなことをすでに予見しているところもあり、興味深い。
内容そのもののことではないが、ほぼ現在の私と同じ年齢でこれだけの内容を残しているということ、また、30年近くこの記録は銀行の金庫に保管され家族もその内容を知らなかったことから、氏の死後になってはじめて見出され、特に日々直接言葉を交わすことができた家族に、氏の生前の考え方がはじめて伝わったということが息子さんの後書きにあり、記録することの重要性を感じた。

2005/02/11

またまた Amazon で本を買う

SNS の mixi と GREE に入っている。本のレビューを書いたところ、同じ本にレビューを書いている人が別の本を紹介していて、それらを読んでいたら最終的に Amazon で注文するところまで行動が及んでしまった。Amazon の思う壺である。
昨日家に届いた。ぱららと見たが、面白そうである。今回は以下の3冊。

  • 船曳建夫 『「日本人論」再考』
  • 高澤秀次 『戦後日本の論点』
  • 小坂井敏晶 『民族という虚構』 

最後の1冊は、以前大学の先輩にすすめられて一度読んだ(そのときは図書館で借りた)のだが、もう一度読みたくなって、買っておいていい本だと思ったので買った。

国税還付の通知が来た

確定申告で還付申請をしたとおり、32,720円返ってくるこを知らせるはがきが、税務署から届いた。

2005/02/05

国家企画大学構想 大学である必要性は?

今日はもう遅い。もう寝たい。が、さらに思ってしまったので書いておく。

国家企画大学なるものについて書いているが、そういった活動をするために大学という組織形態をとる必要があるのか? 実はよくわからない。人材育成のウエイトが高ければ大学いいのかもしれないが。
同じことができるのであれば、シンクタンクでも政党でもいいのかもしれない。自民党でスパコンを買って社会シミュレーションするとか、やらないいんですかね。

節分の豆まき考

もうおとといになるか、節分の豆まきを家でもした。3歳の息子と玄関扉や窓を開けて「鬼は外福は内」の掛け声とともに豆をまいた。
ところで、誰かに鬼の面をかぶせ鬼役にして豆まきするというのは、豆まきの本意からしてやっていいことなのだろうか?? 特に、父親が鬼役になって子供に豆まきさせるというのは、かなり危険思想のような気がする。家長自ら鬼に扮し追い回されるなんて、それこそ鬼の巣くった家庭ではないか!

私の子供の頃は、田舎だったせいか、節分の日の夕刻になると、各家庭で大きな声で「鬼は外福は内」をやっているその家の父親の声が聞こえた。当然、自分の家もそうだった。鬼役なんてない、外に向かって豆をまくのである。
鬼の面は、抽象的な鬼の概念を具体的な鬼役にして、子供うけをよくするための一種のサービスなんだろうか? 見えないものを可視化するのは、物事を把握するために有効だと思うが、このケースへのこのような適用は、豆まき自体の意味を歪めている感じがして、私はすっきりしない。

家長たる父親こそが家の邪気を祓い福の招来を願わなければなるまい。

歴史に学ぶ

2週連続で定年退職パーティーに参加した。
見送られる先輩(先輩などと軽く言えるような距離感で捉えられない大先輩であるが)の言葉には、学ぶべき点がたくさんあったと思う。人生の節目に人が口にする言葉は、その人の歴史の中でその人が考えるもっとも重要なテーマや感慨であると思う。数十年にわたる自分の歴史を数時間の会の中の数分の挨拶で語るのだから。
私は、定年退職パーティーを一種の生前葬のようにとらえている。冗談交じりに「今日は葬式に出る」なんて同僚に言ってみたりしたが、出席することによって自分とその人との関係やどう影響をうけ何が自分に残ったのかを考えるという点では葬儀と同じである。そして、生前葬なので、本人から最終講義をうけることができ、直接話して教えを請うこともできる。さらに、新しく生まれ変わるその人と自分との新しい関係(来世の人と現世の人がつながるような)を築くこともできるのである。
学んだ言葉は自分の中で消化し、次の一歩を踏み出すための糧にしなければならない。
昨夜のパーティーで聞いた言葉は、

  • すべて自分でやらなければ結局は事(事業化)は成らない。ここまでが自分の仕事と決めてしまうとそこでおしまい。
  • 言葉はつたなくても信念を持って語れば伝わる。流暢でも伝えたいという意思がなければ聞き流されるだけ。
  • 世代を超えたコミュニケーション力が求められる。同年代だけでつるんでいては事は成らない。

まだまだたくさんあったが、これらが今の私に残っている。

国家企画大学構想 続編

昨夜、かつて私が所属していた研究所の所長の定年退職パーティーがあった。
その会場で、私の元直属上司(今は退職して大学教授)と現直属上司(数年前に中央官庁に出向していた)の話していることを横で聞いていたら、まさに私が昨夜ここに書いた、政策提言を大学から行うための枠組みがつくれないか、という話だった。
将来をどう予測するか、今起こっている現象をどうとらえるか、それに対してどういった政策を打つか、複数の案から実際に実施する政策を選択する基準はなにか、等々。その手段としてコンピューティング能力をフル活用し、個々の政策実施に対して社会がどう動くかシミュレーションする。
企業の場合は利益というわかりやすい評価尺度があるため、たとえあるプロジェクトを展開しようとしても、利益(損益)の出方次第で収束や撤収の判断ができるが、国家政策となると企業の利益に相当するような国家利益のような客観指標が立てにくいためフィードバックが難しく、さらに政策実施による既得権も発生し、矛盾を起こしつつもその政策実施が継続され発散してしまうことがある。最近問題として取り上げられている国家レベルの課題はみなこのケースではないか。
構造改革といっても、現状から別の状態に移行するだけではなくて、その移行の方向や移行の量、移行のシナリオ、移行のスケジュールはどのような根拠で決まり、どのような尺度で代替案との比較がなされているのか。このあたりをエンジニアリングするのが、国家企画大学の役割である。

2005/02/04

国家企画大学設立建白書(素案)

板垣退助らが民撰議院設立建白書を出したのはいくつ(歳)のときだったんだろう。

国家企画大学は、25年50年100年のような長期的な視野で政策の方針を考える人材の育成と、具体的な政策提言を行うことを目的とする。研究のための材料は歴史に求め、その時々の基準で歴史評価を変えるような従来の日本で行われて来た姿勢からはなれ、事実認識と解釈を深め、将来の方向を指し示すための土台とする。
(今はこれ以上続かん。また後日)