2005/05/24

福沢諭吉をそして聖徳太子を紙幣に描いてきたということ

その国の紙幣に描かれるものは、その国を象徴するものや歴史の中で重要なものなんだと思う。

子供のころからそして歴史で勉強する前から聖 徳太子を知っていたのは、1万円札で見たことがあったからだと思う。歴史の授業で出てきたときは、他の歴史上 の人物に比して親しみを感じたし、なんとなくより重要な存在なのではと感じた。今の子供たちは、私が聖徳太子に感じていたようなことを、福沢諭吉に感じて いるのかもしれない。

聖徳太子は日本を歴史上はじめて独立国家として位置づけた人であろう。福沢諭吉は近代日本の方向性を打ち出した人であろう。今の日本を考える意味で、重要な人であることは間違いなさそうだ。

5月23日付け Sankei Web 正論に、 両者のことが触れられている。中華圏から距離を置く日本のスタンスを示した歴史上の人として。これは両者の評価の一部分でしかないかもしれないが、しかし 彼らの業績の中で重要な要素であるとして、日本では歴史教育されている。つまり、「日出国の天子・・・」という書簡と「脱亜論」は歴史教科書で触れられて いるということである。

中国・韓国とは経済的には親密度が非常に高いが政治的には良い関係とは言えない状況である、というのが一般的な認 識であろう。最高額紙幣の顔がその国の意 思表示なら、また、意思表示の中身が上に書いたようなことなら、意図したとおりの関係になっていると言えるのではないだろうか、と考えるのは考えすぎだろ うか。

2005/05/11

「日本はW杯で優勝できないのか。答えはNo。」・・・えっ?

昨日はじめて六本木ヒルズに行った。仕事でである。帰りに日比谷線の駅構内(だったと思う)で真っ青に白い文字の大きな広告が目に留まった。歩きながら、その広告の書き出しの文章をちらっとみたら、

「日本はW杯で優勝できないのか。答えはNo。・・・(云々)」

となっている。一瞬、「えっ?」と思ったが、すぐにどういうことか了解した。

別にサッカー日本代表の実力や優勝の可能性について私がどうこう言っているのではなく、単なる文章の問題としてである。広告は、真っ青だった(日本代表のチームカラー)し、上記(云々)の部分にはみんなで応援しよう的な表現がすぐに続いていた気がするので、言いたいことは「優勝できる(可能性はある)」と言いたいはずだ。否定疑問文に対する日本語と英語の言い方の相違に関して、単純な混乱を残した表現だったから、私は「えっ?」と思ったのだ。

「答えはNo。」と、紛らわしい書き方をするからいけない。「答えはいいえ。」にするか、そもそも肯定的なフレーズにして、全体を「・・・優勝できるのか。答えはYes。」の方が積極的でいい。ニュアンスが、だいぶ優勝の可能性が高いほうに変わるが。

しかし、もし、「答えはいいえ。」だったら、私は何にも気にも留めなかったかもしれない。「答えはNo。」にしておいたことで、少なくとも一人には広告に気づき考えるという行動を起こさせたのは事実である。

2005/05/08

今年のGWは帰省が充実

今年のGWは長かったが、それなりに充実していた。特に2日から6日までの帰省期間は、私的には良かったと思っている。

2日と6日:
移動を平日にしたので、渋滞がまったくなく快調だった。3歳児と1ヶ月児の二人を連れているので、渋滞はできるだけさけたい。

3日:
ここにすでに書いた子供の自転車を持っていって、実家のそばで乗せた。畑と田んぼの中をめぐる農道で、かつては妻がペーパードライバー時代に練習したコースでもあり、冬には長男をそりに乗せて引きずったりした道である。しかし、大人から見ると比較的平坦で快適そうな道も、子供にとっては結構なアップダウンであり、下りの暴走と登りのへたりに親が対応するために結構つかれる。今シーズンまだ手が入ってない畑ではタンポポが一面きれいに咲いていたり、田んぼの苗代作業をしている横を通るときにはもう蛙の鳴き声が聞こえたりして、自転車の補助輪の音と、暖かい日差しと、すこし涼しい風と、いい風情だった。
鯉のぼりの季節である。家(川崎)にいると、マンションのバルコニーから差し出された程度の鯉のぼりしか見ることができないし、子供もそれが鯉のぼりの一般形で、保育園にはちょっと大きいのが出ているが、まー総じて鯉のぼりとは「こんなもの」と思っていたかもしれない。という、勝手な断定をくだし、勝手に断定されたその子供の思い込みを、また勝手に打ち砕くべく、鯉のぼりの「本来の姿」を見せようと、車で近隣の農村地帯に向かう。
隣村にあるSL広場(ここには例年鯉のぼりがたくさん連ねられていて、以前息子を連れて行ったことがある)を目指し走ると、畑や田んぼが開けて見える道に来れば、遠景に鯉のぼりがたくさん見える。子供は大きい鯉のぼりをあっちにもこっちにも見つけて上機嫌のようである。鯉のぼりハンティング気分である。目当ての広場では、フリーマーケットとイベントが行われており普段にはない賑やかさだったが、期待通り鯉のぼりがたくさん泳いでいた。SLの運転台の上ったり、「○○レンジャーショウ」をほとんど無視しながら(この手のTV番組を見せたことが無いからよくわからないらしい)かき氷を食べ帰ってきた。

4日:
もうちょっと自転車の乗りやすい平地がないかと、市内の公園に出かけた。私の子供のころとまったく同じ雰囲気でいまも在る。ここは城址である。一角に(天守閣があったとそれまで思い込んでいた場所に)御殿桜と名付けられた桜の木があるのだが、老齢のせいで元気がなく、なんと「二代目御殿桜」が存在して(新しく植えられて)いた。御殿桜のある丘は、最近発掘され昔の石垣が出てきたらしく、それを見ることができた。息子は平らな砂地で自転車を乗り回していた。

5日:
3月22日に二人目が生まれたため、彼岸に墓参りができなかったことから、墓参りに行く。SL広場のある村とは別の村のお寺に墓があるのだか、そこへ向かう途中にも大きな鯉のぼりがたくさん見えた。私の父が、鯉のぼりを家に泳がすことの裏事情を話すのを聞きながら(泳がすための磨いた杉の木の値段や数年しか持たないことや、鯉のぼりは母方の実家が贈るとか親戚が贈るとか、雨を受けると痛むからしまうとか、泳がせていないとくれた人にもうしわけないから結構大変とか、、、(鯉のぼりトータルで結局庭先に数十万から百万オーダーのものが野ざらしになってるのかとか思いながら))、お寺に向かいお参りした。二人目が生まれたことを報告した。
昼は妻ご所望のラーメン屋に行った。ここはお寺の在る村とはまた別の町にある。いままで何度も来ている。餃子がうまかった。

私の実家は、「市」にあり、上に書いたように今回の帰省ではそれ以外の2「村」と1「町」に足を伸ばした。実家のある「市」は確か昭和33年に市制施行し、この2月に「流行」の市町村合併で2村を飲み込み大きくなった。しかし、今回足を運んだ隣接2村と1町はこの合併に含まれて居ない。これらは、財政状況が良いと聞くが、やはりなんとなく存在感を感じるし魅力もあるように思った。