2005/02/05

節分の豆まき考

もうおとといになるか、節分の豆まきを家でもした。3歳の息子と玄関扉や窓を開けて「鬼は外福は内」の掛け声とともに豆をまいた。
ところで、誰かに鬼の面をかぶせ鬼役にして豆まきするというのは、豆まきの本意からしてやっていいことなのだろうか?? 特に、父親が鬼役になって子供に豆まきさせるというのは、かなり危険思想のような気がする。家長自ら鬼に扮し追い回されるなんて、それこそ鬼の巣くった家庭ではないか!

私の子供の頃は、田舎だったせいか、節分の日の夕刻になると、各家庭で大きな声で「鬼は外福は内」をやっているその家の父親の声が聞こえた。当然、自分の家もそうだった。鬼役なんてない、外に向かって豆をまくのである。
鬼の面は、抽象的な鬼の概念を具体的な鬼役にして、子供うけをよくするための一種のサービスなんだろうか? 見えないものを可視化するのは、物事を把握するために有効だと思うが、このケースへのこのような適用は、豆まき自体の意味を歪めている感じがして、私はすっきりしない。

家長たる父親こそが家の邪気を祓い福の招来を願わなければなるまい。