2006/02/16

さらに追い討ちか

(下書きですが、公開しておきます)

2006年2月16日(木) 付け
東京芸術大、みなかみに拠点
http://www.raijin.com/news/thu/news01.htm

2006年2月16日(木) 付け
沼田市予算案 沼須町に運動公園
http://www.raijin.com/news/thu/news04.htm

みなかみ淡水魚水族館
昔からの温泉観光地、コンテンツ・マーケティング視点、どうやれば金を回せるか、元手最小限で他人の力でどこまで自分に有利に展開できるか、
大学誘致、三流大学ではだめ、強力なコンテンツ
追加財政支出せず(箱をつくらないで)不使用資産(休校舎)活用
若者を集める、集めるといっても一定期間生活する、人生の一時期を過ごす、卒業後も思い出に残り再来する(街への強力なリピータを養成)
子供もできちゃうかも
地元への影響、地元の子供たちへの影響、町の第二のシンボル、子供のころから国内トップレベルの研鑽の場に触れることができる、

昔のように距離や時間の制約が大きかった時代は、沼田は利根地区のポータルでありハブだった。他地域(主に関東平野側)からは、まず沼田に来て各コンテンツ地域(利根郡部の温泉・農産物・スキー場・自然)へディスパッチ。情報収集需要、宿泊需要、人の流れのステップに沼田が入っていた。逆向きもそう、利根地区の出口である沼田、東京方面へ行くときは沼田でワンステップ、他にも沼田祭りで沼田の旅館に宿泊、とか。
移動手段通信手段が現代化して、他地域から直接コンテンツ地域にアクセスできるようになり、沼田は一時停止する必要のない経路上の地名となる。人は止まらない、金は落ちない。
沼田にはコンテンツがない。典型的地方都市の運命、か。

泣きたい気持ち・・・

■沼田市 200メートルタワー断念
http://www.raijin.com/news/wed/news05.htm

私の出身地の話です。

街の再生化計画だったんだそうです、200メートルタワーが。断念したことで泣きたいんじゃないんです。経産省の「再開発のプロ」の助言により作成した計画だったんだそうです。この報道が本当なら、バカにされた気持ちです。

なかなか時間が取れなくて、最近読んだ(読んでいる)本のことをここに書けていないのですが、今年になって『敗北を抱きしめて』を読み、今『「日米関係」とは何だったのか』を読んでいます。いずれも戦後の日本とアメリカの関係をアメリカ人の視点で書いたものですが。。。。
これらを読んで思うことは、当時のアメリカは日本のことを、ここまでバカにしていなかったのでは、ということです。

2006/01/28

「上毛かるた」がナショジオに紹介されてるぞ

今日届いた National Geographic (日本版) 2006年2月号に、郷土の文化・群馬名物「上毛かるた」と題した記事がある。これによると、歴史や地理の教育が禁止されていたGHQ占領下の1947年に、子供たちに学んでもらおうという意図で発行されたとのこと。熱いですね、すばらしい。郷土かるたの草分けなんだそうだ。

どこでもこういうものはあるんだと思っていたが、今すんでいる川崎には去年の2月までなかったらしい。(先日入手した「かわさきかるた」は2005年2月発行)

群馬県北部山沿い出身の私も子供のころやりましたよ。いまでも実家にありますね。私が持っている「ち」は180万ですが、現行版は200万なんですね。この書き方、群馬県人じゃないとなんのことか???でしょう。「(ち)力あわせる百八十萬」人口のことです。子供のころ、友達の家で170万表記を見て「おおーー」と思ったことがあります。初版は上記記事によると160万だったそうです。

記事にもあるとおり、正月は「上毛かるた」ですよ。百人一首じゃなくてね。県大会まである。私も小3くらいのときに市の予選に行きましたね。沼田公園の入り口手前左にある、古い木造の(あれは何だったんだろうか?)大きい建物で開催。えらい広い畳敷きの空間に、たぶん数十組が同時対戦する形式で、読み札の読み声がマイク→スピーカ越しに拡声されて・・・。
あっさり負けたことと、すごく寒かったことが非常に思い出に残っとります。

上記記事冒頭に書いてありますが、もしそばに群馬県人がいたら「上毛かるたで"ね"と言えば何?」と聞いてみて、その応答で群馬県人度判定なんて、ちょっとした遊びですね。

なんか群馬の保守度を感じました。
# 記事を読んで、熱くなってしまった。

2005/09/02

皇族方の研究は自然科学系縛りがあるのか

昨日、新江ノ島水族館に行った。水族館には今上天皇陛下のご研究というコーナーがあった。3世代にわたって、生物学の研究である。

やっぱり、史学とか政治学とか、そういうのを専門にするのは、難しいのでしょうね。

2005/08/15

日本の夏はバカンス気分になれない

先日、館山に海水浴に行った帰りに車中で妻と話して一致した見解。

「日本の夏は、死の匂いというか、慰霊の雰囲気というか、とにかく能天気なバカンス気分にはなれない」ということ。

避暑。暑さを楽しむのではなく、静かにやり過ごす感じ。それほど過酷な自然環境。

お盆。先祖の霊を呼び戻し、一緒にすごし、また見送る。

敗戦の記憶。8月6日、9日、そして15日。夏は気象的な蒸し暑さだけでなく、歴史的な重苦しさもつれてくる。

2005/08/09

週刊東洋経済の敗戦60周年特集

先週から中刷りで見て気になっていたのだが、掲題のもの(同誌8月6・13日合併号)を今日読んだ。
少ないページ数ではあるが的確にトピックスが配されていて、視点を確認するのに良いと感じた。

2005/06/16

パソコンで遊ぶ息子

突然英語でしゃべりだした3歳の息子のトレーニング環境?は、パソコンである


一番最初はどのくらい前だったか・・・、確か、ト ミカのパーキングボックス(立体駐車場型をしたトミカ収納箱)を、ネットで買おうとしたときに、画面にミ ニカーが表示されているのを見て興味を持ったのが最初だった。1年は経ってないが半年以上は過ぎていると思う。それ以来、私がパソコンの前に座っている と、「ミニカー見たい」と言うようになり、見せてやっていた。で、その後、ミニカーじゃなくて本物の車のサイトを見せようと思って、レガシー(うちの車) のサイトを見せたら、息子ははまった。パソコンが点いてなくても、「パソコンでレガシー見たい」と言い出すようになり、そのたびに見せていた。車のサイト ばかりじゃな、と思って、NHKの学校放送オンライン(今はこの形態のサイトはない)に行った。
ドレミのテレビを見た。その中の真言密教の歌(お坊さんの歌)のビデオを見たら、毎日「お坊さん見たい」と言うようになり、毎日見た。(これは時期特定ができるな、ここに書いたから=去年の12月30日に書いている)
その後、読み書きのツボを見た。パペットマペットのビデオを見たら、毎日「うし君見たい」と言うようになり、毎日見た。
さらにその後、えいごリアンを見た。ここでビデオだけではなくて、Flashのゲームを経験した。
ずっと私が操作してやり見せていた。しかし、ビデオなら再生してしばらくほっとけるが、ゲームは操作頻度が高い。相手しつづけるのが面倒である。で、自分でやらせるように少しずつ教えていった。
そしてついに! 今ではパソコンを起動してやれば、自分でブラウザを上げてブックマークをたどり、目的のえいごリアンだったりうし君だったりUAだったりおこめちゃんだったりストレッチマンだったり、自分でどんどん見るようになった。

まだ、NHKのサイトの外には飛び出してないが、ストレッチマンや他のいくつかのページは、一緒に見たこともないのに自分で見つけて見ているので、The Internet に漕ぎ出すのも時間の問題なんだろうか・・・。

突然英語でしゃべる息子

息子を保育園に送って行ったときのこと。
仕度が整い私がでかけようとするとき、「じゃぁね、行って来るね」と言うと、息子は「バイバーイ」と言って手を振るのがいつものパターン。しかし、昨日の 朝は、「バイバーイ」の後に、「Nice to meet you」と言った。文脈が全然合ってないが、挨拶っぽいシチュエーションで使う言葉ということが判っているかのうようだ。
# とりあえず、「それは人にはじめて会った時に言うんだよ」と説明したが、そこは判ってないと思う。

どこで覚えたのか? テレビで「英語であそぼ」をほぼ毎日見ているが、あの中では出てこないような気がする。# Ericも自己紹介と相手の名前を聞くことはしているが・・・ とか考えていたが、もっと強烈に繰り返し見ているものがあった。NHKのWebサイトで、 「えいごリアン」のコンテンツを毎日欠かさず見ているのである。当然音も聴いている。きっとここで覚えたんだな。と、思うことにした。

2005/06/12

妻のブログ&mixi

育児休職中の妻に、余暇の楽しみとして、ブログとmixiアカウントを用意した。